要介護 の お茶目な戦士 後編 【人生で出逢った数奇な人たち】
こちらの記事は後編になります。
よろしければ、前編から是非どうぞ(#^.^#)
少年期
時代は、戦争の頃にまで遡ります。
まだ若いⅯさんは、竹槍で敵兵を突く練習をしている一兵卒でした。
来る日に備えて集団で訓練する日々です。
そんなある時、部隊の隊長が来て言いました。
お前ら、上から命ぜられて教えてはいるが
そんな竹の槍じゃマシンガンに勝てんだろう。
代わりに、手裏剣術を教えてやるから覚えろ、と。
この隊長は、手裏剣で20メートル先にある20センチ四方の的を手裏剣で射貫けるような達人だったのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E8%A3%8F%E5%89%A3
wikiをみたら、20メートル20センチ四方というのは化け物の領域ですね。
👇Ⅿさんの話しにあった手裏剣に近い写真です。
こうして部隊は生まれ変わりました。
Ⅿさんも部隊の一員として、手裏剣術を修めたそうです。
その後、時は流れ終戦となり部隊は解散となりました。
人を殺す術のいらない平和な時代がやってきたのです。
青年期
・・・しかしⅯさんは手裏剣術がこのまま失われることを良しとはしませんでした。
旅をしながら、手裏剣術の武者修行を始めたのです。
己を高め、技を極める日々は勿論野宿です。
その辺で転がって寝ていたそうです。
道場の門を叩いて勝負を挑んだり、
同じく武芸者ともかなりの数戦ったそうです。
当時は、旅をする武芸者が多数いたようですね。
Ⅿさんの得意技は、手裏剣二連射です。
一投目のあと、口にくわえていた二本目を
ほぼノータイムで投擲するというものでした。
この技を使い、ほぼ負け無しで戦ったそうです。
しかし、そんなⅯさんも一度だけ明確な負けを味わったことがあるそうです。
それはとある流派の武芸者で、
Ⅿさんと同じように己を鍛えるべく旅をしていたそうなのですが
なんと鉄下駄をはいて諸国を回っていたそうです。
これにはⅯさんも度肝を抜かれて、
ぜひ戦って欲しいと勝負を挑んだそうです。
二人は対峙しました。
Ⅿさんの一投目が閃きます。
前方に回転して躱す鉄下駄の武芸者
Ⅿさんは虎の子の二投目を投げ・・・
投げようとした瞬間には、
鉄下駄の武芸者の手刀が
Ⅿさんの首元に突き付けられていました。
これで勝負は決まりです。
Ⅿさんは、初めて明確な敗北を喫したのでした。
現在
それから時代は流れ、
Ⅿさんも年をとり衰え病気にもなりました。
武芸からもとんと離れて、住宅型老人ホームにやってきました。
そして今、玩具の消防車を笑顔で
『ぶー、ぶぶー、ぶー』
とか言いながら走らせて遊んでいるのです。
話しかける実習生にも似たような態度です。
Ⅿさんには認知症も、幼児後退もありません。
では何故そんなことを?
・・・顔を見たら分かります。
あの顔は、ニコニコ笑っているんじゃありません。
ニヤニヤ笑っているのです。
そう、Ⅿさんは未熟でちょっと失礼な実習生を
おちょくって遊んでいるのです。
ま、まあⅯさんなりの洗礼と激励なのでしょう。
そういうことにしておきましょう。
実習生は餌食にされるでしょうが気にしたら負けですよね。
後から、実習生をいじり倒した話しも聞かせてくれました(笑)
まとめ
人には歴史があります。
その人が歩んだ、その人だけしか全貌の分からない物語です。
そんな物語がむきむきは大好きです(#^.^#)
世の中には、まだまだとんでも無い物語が埋もれていると思うと
ワクワクしてきますね。
これからもそんなワクワクを探して生きていこうと思います。
本日はここまでです。
ご覧いただき有難うございます。またのお越しをお待ちしております。
さよなら、さよなら、さよなら('ω')ノ